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二宮忠八は偉大な人物! 二宮忠八飛行館でその歴史に触れてきました。

こんにちは。くりいむぱんだです。

飛行機を世界で1番最初に発明したのはライト兄弟という話は有名ですが、それよりも先に飛行機の原理を着想していた人がいたという話をご存知でしょうか?その人物こそが「二宮忠八」です。今回は二宮忠八がいかに偉大な人物かということを少し皆様に紹介してみたいと思います。

二宮忠八について

■忠八は1866年に愛媛県八幡浜市で生まれました。幼い頃から好奇心旺盛でいろいろな生き物に興味を示し観察することが好きな少年でした。

■21歳の時に現在の香川県丸亀の陸軍として入隊します。訓練の休憩中に弁当を食べている最中、カラスが滑空している姿を見て、「どうしてカラスは羽ばたかなくても空を飛ぶことができるのだろうか?」と考えました。そしてカラスの飛行する様子をヒントに、「カラス型模型飛行機」を完成させ、10m飛ばせることに成功しました。

しかし、このカラス型模型飛行機は自由に走行方向を変えることができませんでした。どうすれば自由に大空を操縦して飛ぶことができるのだろうか。と考えて、忠八は玉虫の羽が二重になっていることに着目しました。そして二枚翼の「玉虫型飛行機」を完成させました。飛行原理を着想し、飛行機の模型を製作することに成功したものの、これを人を乗せて飛ぶようなものにするには莫大な費用が必要でした。

そこで忠八は軍の偉い人に飛行機を製作するための費用を出してほしいとお願いしました。しかし、「そんな飛ぶかどうか分からないものにお金を出すことはできない」と却下されました。忠八は諦めず何回も出向いてお願いしました。飛行機ができることでどれだけ人々の役に立つのか説明しましたが、返事は変わらず結局忠八の願いは叶いませんでした。

仕方がないので忠八は自分で飛行機を製作するための費用を貯めようと考えました。陸軍を退役し製薬会社に入社しました。そこで業績を挙げながらもコツコツと資金を貯めて飛行機の製作に励み、ようやく後一歩で飛行機が完成する!というところまで到達しました。

しかしある朝忠八は新聞を読んでいて、ライト兄弟が人を乗せて飛ぶ飛行機の飛行実験に成功した。というニュースを目にします。その飛行機の飛行原理は忠八が考えていたものと全く同じものでした。「あの時軍が飛行機の製作のためにお金を出してくれていたら…。」と、忠八は新聞を握り締めて静かに涙を流しました。

そしてその次の休みの日に、完成真近だった飛行機を自分の手でハンマーで打ち壊しました。

このように忠八はライト兄弟よりも何年も前に飛行機の飛行原理を着想していたのです。もしも軍の偉い人が忠八の申請を受け入れて、飛行機製作のための資金を出してくれていたなら、忠八が世界で初の人を乗せて飛ぶ飛行機の発明者になっていたはずなのに…。そして、自分でコツコツお金をためて時間をかけて製作した飛行機が後一歩で完成する。というところで、ライト兄弟に先を越されたことを知った時の忠八の気持ち、時間をかけて苦労して作った飛行機を自らの手で打ち壊した時の忠八の気持ちを考えると、とても計り知れず可哀想だなと思えてきます。

それにしてもカラスや玉虫を見て飛行の原理を思いつくなんてすごいですよね。カラスを見て、「どうして羽ばたかないのに空を飛べるんだろうか。」何てこと普通考えますか?玉虫に至っては羽が二重になっていることからして私は知りませんでした。偉大な人物はやはり生まれながらに人とは違う素質があるのでしょうね。

それに軍が資金を出してくれないからと諦めてしまうのではなく、自分の力で何とか製作しようとするところがすごいですよね。

 

二宮忠八飛行館に行ってきました!

さて、どうして私がこんなことを突然書いてみたのかと言うと、先日香川県仲多度郡まんのう町にある、「二宮忠八飛行館」に行って二宮忠八の歴史について触れたからです。私は愛媛県の生まれなので、もともと二宮忠八については知っていましたが、このような記念館が香川県にあることを知って、是非一度行ってみたいと思って訪れました。

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館内は写真撮影OKだったので写真も撮ってみました。忠八が着想していた玉虫型飛行機は上記のようなものだったようです。

今まで二宮忠八についてはそんなに深くは知りませんでしたが、記念館に行ってその歴史に触れてみると新しく知ったことがたくさんあり、「二宮忠八って本当に偉大な人だったんだなぁ。」と感じました。でも実際にはその人物についてはあまり世に知れ渡っていないようなので今回この場を借りて紹介させて頂きました。

 

また、当時の飛行機は現在のように完成された安全なものではなく、飛行事故も多かったようです。忠八は晩年には京都府八幡町に、飛行事故によって命を失った人々やその家族のために飛行神社を創建して、自ら神主になりました。

飛行神社は、忠八がカラスの滑空を見て飛行機の原理を着想した場所である記念として、香川県仲多度郡まんのう町にも建てられています。二宮忠八飛行館のすぐ側にあるので私も行ってきました。

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忠八さんのように息子が賢くたくましくなりますように。とお願いしてきました。

二宮忠八という偉大な人物が私の出身地の生まれであることを改めて誇りに思いました。

最後まで読んでくださりありがとうございました。